蘇我馬子の孫、蘇我入鹿
皇極天皇に変わってから父の蘇我蝦夷から大臣の位を譲ってもらった蘇我入鹿は実質蘇我氏のトップに躍り出た。
蝦夷はどちらかといえば慎重派であるが入鹿は大胆な行動派で自分の好き勝手に政治をして民衆からの信頼もよくなかった。
蝦夷は次の大王に古人大兄王(ふるひとのおおえのおう)を大王をしようとした。
その古人大兄王を大王にするためには聖徳太子の子供の山背大兄王の存在がまたしても邪魔であった。
蝦夷が大臣に就任して約一カ月あまりで蝦夷は邪魔な存在である山背大兄王とその一族を殺害してしまった。
その蝦夷の行動に対してさすがの父、入鹿も激怒した。
この入鹿の横暴を食い止めようと立ち上がったのが中大兄皇子と中臣鎌足である。