歴史むら

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隋との対等外交失敗

「隋書」によれば600年、倭王使者を派遣してきた。高祖文帝は、はじめて使節を派遣してきた倭国に関心を示し、その風俗習慣を尋ねさせたところ、倭国の使者は

倭王は天を兄とし、日を弟としています。天皇がまだ明けぬうちに(夜明け前)王宮に出てきてあぐらをかいて座り、政治を執ります。日が昇ってくると、あとは弟にまかせて政治を執ることをやめます。」

と答えた。
倭国側としては倭王が天や日と兄弟だといえば隋の皇帝も一目置くだろうと思ったのかもしれないが、文帝の反応は
「これ大いに義理なし(まったく理にかなっていない)」
であった。
天や日と兄弟だとか夜明け前に政治を執り夜が明けるとあとは弟の日にまかせるなどというのは中国人の常識からしてみれば野蛮人の理屈に合わない考えにしか映らなかったのであろう。
文帝は使者をさとして政治の執り方を改めさせるように命じた。