歴史むら

日本の歴史を通してすべての人々が夢と希望のある生活をしてほしい

日本最古の政治家

蘇我馬子の父の蘇我稲目を時代に仏教と仏像が倭の国にもたらされた。

馬子も仏教を広めようと自宅に仏殿を建立し仏像を安置して自分の家臣達に拝まさせていた。


そのころに倭の国では疫病が流行、多くの人々が亡くなっていった。

これは外国の神さまなんか信仰するから日本古来の神々が怒っているんだと思われ、物部守屋を筆頭に馬子に対して仏教を辞めさせるように支持した。

それでも馬子は毎日仏像に拝み続けていたため物部守屋は怒り、馬子の仏殿を破壊し、仏像を海に投げ捨てた。


馬子は諦めずにまた仏殿を作って仏像を安置したがそのたびに守屋に破壊されるということを繰り返していた。


守屋さえいなければ仏教は広めれるのにと馬子は思い、物部氏を滅ぼそうと計画したのです。



馬子は物部氏を滅ぼし、自分の邪魔をするものがいなくなってやっと落ち着いて仏教を広めることができたのです。




そして仏教が広がったことによって文字や建築技術など最新のものが倭の国に入ってきて一段上の国家形成が行われるようになりました。


蘇我馬子がいなければもしかしたら日本はもっと国際的に遅れた国家になっていたかもしれません。
日本最古の政治家と言っても過言ではありません!