2018-07-23 物部守屋と蘇我馬子は仲が悪かった 飛鳥時代 585年、敏達天皇が亡くなった。葬儀の最中に守屋と馬子はお互いに罵倒した。守屋「(長い刀を差して弔辞を読む小柄な馬子へ)まるで矢に射られた雀のようだ」馬子「(緊張で体を震わせながら弔辞を読む守屋へ)鈴を付けたらさぞ面白かろう」犬猿の仲だったようです。蘇我馬子が大臣(おおおみ)物部守屋が大連(おおむらじ)天皇を補佐する二大トップは毎日喧嘩をしていたようです。