歴史むら

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6月10日は時の記念日

天智天皇は日本に初めて時計(漏刻)をもたらした。

 

6月10日は時の記念日

 


 漏刻とは、水時計のことで、水が一定の速度で水海とよばれる壷に貯まり、水海の水位から時刻を測る時計のことです。
 水の流入速度が一定になるように、夜天池、日天池、平壷、萬分壷の四個の壷を経て水海に流入し、 水海の箭が浮上して人形が指差すところによって時刻がわかる仕組みです。

 

 

 

中臣鎌足と中大兄皇子の師匠

二人の師匠に南淵請安という人物がいる。

 

 

608年遣隋使小野妹子高向玄理らとともに留学僧として随に留学する。

32年間中国で勉強し、随の滅亡と唐の建国を目の当たりにする。

 

 

中臣鎌足中大兄皇子南淵請安の塾に通う道中で蘇我入鹿暗殺を計画した。

 

 

 

中臣鎌足

中大兄皇子蘇我倉山田石川麻呂らと協力して645年、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺した。

 

中大兄皇子が蹴鞠で遊んでいたとき、けまりを蹴ろうと思いっきり足を振ったら靴が脱げてしまった。

その脱げた靴を中臣鎌足が拾って丁寧に中大兄皇子に渡した。

すると中大兄皇子も律儀に靴を受け取ったという。

 

そこから二人は仲良くなり生涯の親友となるのである。

 

 

租庸調

租は稲

 

庸は布や労働

 

調は地方の特産物

 

 

民衆の中から指名された運脚が地方から京の都まで足で運んでいた。

その分の食費は自分持ちで運んでる途中で亡くなる人もたくさんいた。

 

 

班田収授制

公地公民制により土地はすべて天皇のものになった。

その天皇の所有物である土地(田んぼ)を貸し与えるかわりに収穫から租として税を納めさせた。

 

 

戸籍、計帳に基づいて一人一人に土地を貸していた。